冠婚葬祭の「マナー」に対する違和感。袱紗もブラックフォーマルも要らないのでは論。
こんばんは、これから3か月の内に3度結婚式にお呼ばれてしている筆者です。
そういう年頃ってことですね。ひいいい。
これまでに、結婚式にでたことは2度しかありません。(2次会だけ、なら計4度ほどです。)
1度目は、小さい頃に、いとこおのおねーちゃんの結婚式。
2度目は、つい最近、大学の先輩の結婚式。
この2度目の結婚式のときに、私、袱紗を持っていなかったんです。ご祝儀はそのまんまお渡ししました。
袱紗とは、冠婚葬祭のときにお金を包む封筒を挟む風呂敷みたいなもののことですね。
まず、袱紗が必要だ、という習慣を聞いたとき、正直「ハア?」と思ってしまいました。
お金が入った袋をそのまま手渡すのは良くない、隠すべき…というのは日本人らしい考えだとは思いますが、
そもそも、お金は封筒に入っているじゃないですか。
なんのために、透けない、しっかりした、豪華な飾りのついた封筒に入れてるんですか。
(まぁ、私は、あの豪華な封筒も無駄だと思っているのですが…あの封筒代だけで、全部でいくらになるのやら!)
さらに、結婚式の受付でご祝儀を渡すのなんてみーんな知ってるじゃないですか。
ただでさえ混雑してバタバタしている受付で、封筒を袱紗から取り出すという1動作を入れるなんて、非効率もいいところです。
しかも、ご祝儀を受け取る仕事は新郎新婦ご本人ではなく、受付を任された親しいご友人です。新郎新婦の親戚ですらありません。お渡しする瞬間にそこまで礼儀を重視する必要性を感じません。
御祝い金を他のものと一緒くたに鞄に入れておくなんていけない、お金を包んだときの想いをそのままにお渡しするべき、という理由も見かけますが、布に包んだからって想いが変質するわけではありません。想いは想いであり、物質ではないからです。
結婚式に持って行くバッグなんてただでさえ小さいのに、ご祝儀をお渡しした後、用済みになってもそのまま残っている袱紗…無駄、無駄、無駄。
なのに、マナーが変化せず、たくさんの袱紗(最近は、柄物や、派手なもの、色々な色のものがある)が売られているのを見ると、袱紗業界の陰謀だとも思ってしまいます。
「袱紗を使っていると『ちゃんとしているな』と思う」「剥き身で持っていると『ああ…』と思う」などという意見も見かけますが、こういう意見が、マナーが廃れることを妨げていますよね。こういう人がいる限り、一度生まれてしまったマナーはなかなか無くなりません。
そもそもそんなマナーが無ければ、『ちゃんとしている』『残念に思う』ということもないのです。
皆が身軽になってハッピーだと思うのです。
そもそも、結婚式やお葬式には、よく分からないマナーが多すぎます。
マナーを守ることに注意力が注がれてしまって、お祝いの気持ちや、悲しみの気持ちが、薄れてしまうのです。
特に、急なお葬式なんてその最たるものでして、
突然の訃報に悲しみ、故人との思い出に耽る暇もなく
フォーマルブラックを探し出し、着てみてサイズに違和感がないか確認し、汚れがないか確認し、黒いタイツやストッキングを引っ張り出して破れがないか確認し、一連のパールのネックレスを探しだし、数珠(まだ持ってませんが)を探し出して…
…
…ちょっとくらい心静かに回想させていただけませんかね?
…これ、その場で持っていなかったらわざわざ高いお金を出して買う人もいるわけですよ。
信じられない。
リクルートスーツと同じくらい悪しき伝統だと思うのですが
「伝統だから」「マナーだから」「相手に失礼のないように」で、何故かまかり通ってしまうんですよね…。
あるものの中でそこそこ雰囲気に合うもの着てきゃいいじゃないと思っちゃうんです。
その判断が難しいから、マナーが生まれたのかもしれませんが、
そもそも個人が判断できないものを「マナーだから」と規定したところで、そこに気持ちがあるとは思えません。
そんなものは形だけに過ぎないと思うのです。
だから、ブラックフォーマルじゃなくて、持っている服の中で、自分の気持ちに一番合うものを着ていけばいいじゃないですか。
皆がそんな風に行動すれば、自分の気持ちを素直に表現できて、良いと思いませんか。
私は、自分については結婚式も葬式もそもそも必要ないかなーと思っているクチです。
理由は色々あって下にも書きますが、一番イヤなのは、どちらも自分が出席してみて、マナーに関して面倒くさい点が多すぎる点です。
そこまで気を使ったり、使わせたりしてまで、実施するものじゃないと思うのです。
結婚式→これまで出席した結婚式はどれも素晴らしいものでしたし幸せな気分になりました。
呼んでいただいてありがたいとも思いました。
けども、どうしても自分がする気にはなれない。
ひとつは、結婚式って、出席した後は「来て良かった~」と思うんですけども、行くまでが結構億劫なんです。
準備が面倒くさいし、交通費や宿泊費で新郎新婦に気を使わせるのも申し訳ない気持ちになります。今回のような袱紗の問題もありますし、ご祝儀いくらにするだとか、二次会はあるのかとか、着替えるのかとか、宿泊はどうするとか、遠方だとさらに大変です。
そんな想いを友人にさせるくらいだったら、facebookでちょろっと報告して終わりでも差支えない気がするんです。
必ず「来て良かった~」と思わせる自信もないですしね。
あと花嫁はずーっと参加者の視線にさらされるものですが、私にとってそれはものすごい苦痛です。
葬式→基本的に葬式のことは、故人のためのものではなく、残された人が心の整理をするためのものだと考えています。
故人とずっと一緒に暮らしていた人なんかは、故人がいない生活に対して空虚感を持った時も、お葬式のことを想い出して「お葬式が終わったんだし、切り替えないと」とか思えるような気がするんです。
故人と親しかったけども一緒に暮らしていない人で、最近は会う回数もめっきり減ってしまった…というような人であれば、お葬式に参加していないと、極端な話「あのかたは亡くなったんだっけ?」ということになりかねないと思います。
お葬式をして、故人のことをしゃべりながらご飯を食べたりして、故人の知り合い全員の認識が、故人は故人であるというようにはっきりと切り替わり、認識が合致する。
それが、お葬式。
私は、正直、お葬式に来ないとその認識が切り替わらない程度の人であれば、認識が切り替わらなくて結構だと思っています。残された家族なんかがいて、年賀状がずっと着たりすると、困ったりするかもしれませんが、そのような通知を出せば良いでしょう。
ちょっと話が逸れちゃいましたが、まとめますと、
マナーと呼ばれているものに対して、納得できなければ、必ずしも守る必要なんてない。
ただ、それを許してくれる文化や目線がもっとあればいいのにな、と思います。